割れた時計~子どもたちの感じる心は経験から・・・~
フィジパ道場は、スポーツから人間力を高めるという目標に行なっています。
スポーツっていうには、「体を動かす事すべてひっくるめてスポーツ」という定義です。
さて。
以前こんなことがありました。
子供たちが空き時間にスタジオの時計を割ってしまいました。
フィジパの方針として
「子供は肌で感じる事が大事」という基本概念があります。
講師も通常の教室であれば、
「やめなさい」という場面ですが、
ここでは口に出さず
ぐっとガマンしている事があります。
では、どうしてそれを行なう意味があるのでしょう・・・。
私も親ですが、
親は子育てをするとき
「できるだけよそ様に迷惑をかけてはならない」
という事を常に考えて子育てをしています。
「やってはダメ」
「これをしたら相手が傷つくでしょう。」
「こうしたらこうなるよ。」
先回りして、それどうだめなんだと、理論的に説明してしまいます。
私もそんな親でした。
でも、ある日気が付いたのです。
それは、脳発達の学びや、
運動習得をするための学びや、
いろいろな角度から知識がたまってきたとき、
そして、いろいろな子供から大人を見てきて感じたことがありました。
それは、
大人の常識をいきなり子供たちに理論的に伝えすぎてはいけない。
ということでした。
年齢による
「やってしまうことにより、学べることがある」
ということを感じてきました。
ただ、これをするにはとても高いハードルがあります。
それは、子供たちの学びのために、
「何かが犠牲になる」ということ。
最近の記事でも「自転車で歩行者にぶつかって、歩行者を死亡させてしまう。」
なんていう事件も目立ちます。
ですから、そうならないために、
親の責任として、
してはいけないことを伝えるのは当然の義務です。
一方で、
「子供のうちに、机上論や理論的なのではなく、
失敗という経験値から学ばせなくてはならない」
と強く感じている自分もいます。
なぜなら、大人になって「理性」をもって行なわなくてはならない現状なのに、
それができない、立派な大人の人って、少なくありません。
結局ガマンができない
のです。やってしまうんです。
また、その失敗になるまで
まったく状況がつかめず
気が付けていないでやってしまうんです。
それは、理性でわかっていても、
本当に本能的にわかっていない。
ということになるのでしょう。
つまり、状況判断が理性的に行われていない。
のです。
これには、反復練習をするしかありません。
でもその反復練習をできる場所って・・・
今の時代、
子供たちにその機会が少し少なすぎやしないかな・・・と思うのです。
例をあげればきりがありませんが、
ここでは、教室の時計について話を戻します。
講師スタッフは、
空き時間の「スポンジボール投げ」を止めませんでした。
もちろん、放っておいてなんていません。
経験をする時間とおもい、
目をつぶっていました。
しかし、日ごろヒヤヒヤしていたそうです。
「あ~、危ないかな。まだ大丈夫かな。」と
そんな気を配りながら、次の時間の用意をしています。
でも・・・。
事件はそのとき起きてしまった!!!
「やってしまいました・・・」
と講師の先生から一本の連絡が。
遊んでいたスポンジボールが見事に時計に見事に命中・・・。
時計は落下、そして破損してしまったのです。
私たち、大人はここから何を子供たちに感じとってもわらなくてはならないのでしょうか・・・。
簡単に、「こら!」と注意することはできます。
が、ここは「やってはけけません。」と講師が伝えていないので、
「ほら!やらなければよかったのに!!」とは言えません。
ですから、させた側の講師には「覚悟」が必要なのです。
子供の経験値をあげるには、
時に大人の「責任・覚悟」と隣り合わせです。
下のクラスの子にはできないが、
上のクラスの子には
ボールコントロールがしっかりできること。
場をわきまえることができるなど。
その子たちを信頼し、
いろいろな判断でそれをおOKとしていたようでした。
その判断に、代表として私も責任があります。
私がそう「責任や覚悟」がなければ、
講師スタッフもその「責任や覚悟」を持てることはできませんから!
でも、結果は残念な結果となってしまいました。
ですから、結局責任は私にあるわけです!
スタジオを管理されている代表には、私から
早急に連絡をし、「申訳ございません・・すぐに弁償します。」とお伝えしました。
子供たちに感じることができる場面を・・・
これをすると、覚悟を決めると、その場にいる講師の責任、
そして、最終的には、わたくし、代表の責任です。
でも、私はここはフィジパの方針として、
大事にしていきたい所です。
「今の子供は・・・」と非難されている大人の方。
あなたの昔はどうでしたか?
幼い頃、石ころとか投げて遊びませんでしたか?
自由に道路に落書きしていませんでしたか?
木に登っても注意されたりしましたか?
生きてきた時代により、それができた方、できない方がいるかもしれませんが、
子供の脳は、成功の経験値、そして失敗の経験値から育っていきます。
ただし、成功をしたとき、または失敗をしたときは、
立ち止まってその成功や失敗を「意識」することからより確実な成長と変わります。
いくら失敗し続けても、
そこにわかっている大人が、
なにかしらの意識を持っていけないと、
失敗をしたことが、
そのまま流されてしまいます。
失敗ができたなら、
絶対その失敗を「学び」に変えなければ、
よそ様に迷惑をかけただけで、失敗なんてしないほうがよいです。
もちろん、その失敗を、大人になってから自分自身で振り返って気が付く人もいます。
でも、
やはりなかなかそこは難しい!
それはボールを投げた子供一人の問題ではなく、
そこに居合わせた、すべての子の学びになる。
私はそう思っています。
それができなければ、やっぱり「ボールは禁止」とすべきです。
講師は「君たちは下のクラスと違って、ルールを自分で守って
できると思ったから、Okにしたんだよ。」と、
割ったその子の問題としてではなく、
そこに居合わせたすべての子の学びとして
伝えてくれました。
ただ、ここはお借りしているスタジオ内の出来事。
私の教室としての方針があっても、
お借りしている責任者が存在することも、
私は理解しなくてはいけません。
スタジオのオーナーさんへの感謝・・・
「子供たちが過って時計を割ってしまいました。
申し訳ございません。早急に購入いたします。
どんな時計がよろしいでしょうか・・・」
と、連絡した先の代表からは、
「大丈夫です!ただ時計はすぐに必要なので、こちらで購入しておきます。
そんなに高いものではありませんから、購入したらご請求はさせていただきます!」
というような内容をいただきました。
子供たちの行動や、
そうさせていた、講師スタッフをとがめるどころか、
逆に「すぐにご連絡いただき、ありがとうございます。」と・・・。
とてもありがたかったです。
子供たちの「肌で感じる経験」は
そこに居合わせている大人以外の方の理解もあって、
守られている・・・。
その方針を進める立場の私も、
感謝の気持ちをわすれず、
それを子供たちにも知ってもらいたいと思います。
もうすぐクリスマスです。
スタジオの代表の方には
この時のお詫びと感謝の気持ちをカードにしようと思います。
もちろん・・・。
子供たちの手書きのメッセージ付きで・・・